よっこらせ
なんか、ログインできたぞ。
10年前に始めたブログに。
2018年にも書いているけどまるで記憶が無い。というか2017〜19くらいの記憶は本当に無い。まあなんか色々あったし。いつの間にかまた引っ越してるし。猫は変わらず元気だし。
大学の頃の記事、もっと恥ずかしいかと思ったけど意外とそうでもなかった。じいちゃんが死んだ日のやつあるじゃん。サイコーだね。残っててよかった。あれから時は経ち、ばあちゃんもコロナが流行る前に死んじゃって、わたしは今でも2人の写真を部屋に置いている。最近はよく、じいちゃんとばあちゃんのことを考えている。
覚悟を決めて、新しいことをしよう。
よろしくお願いします。
げんけい
1日の終わりに、こんなふうに何かを綴って。
いつか消えてしまう私だから。
どうにもこうにもなんとなく何かが上手くいっていないような、なにかが起きて今すぐにでも平穏な日常が破壊されもう二度と戻ってこないような、予感というよりはもう予知に近いくらいの絶望的かつ漠然とした深い悲しみに襲われて、もう何遍こんな夜を重ね続けてきたのだろう。決して繰り返してはいなくてそれは確実に重なり続けていて、消えない大きな悲哀が私の中に降り積もり溶けないままでいる。消えなくて溶けなくてこの悲しみは、いったいどこに行くんだろう。それは私の向かう先、私の足が向いた先に。体重は減るのに気持ちはどんどん重くて、なんだかつくづく私は不格好だなと思い知らされる。
でもこれは、夜の話。
朝は来てくれる。
迎えに行こう、新人生
そうやって自分に小さくても輝く希望を少しずつ処方しながら前に進まないと、つまづいてしまうので。
これは私への情状酌量です
息してる(あいしてる)
えー、おほん。
3年が経っている。365日が3回も繰り返されている。色々あった。語りきれないくらい。語るつもりもないくらい。人類は全然滅びてもいないしむしろ蔓延っていて、私は仕事を辞めたし猫を飼っている。北海道にもいつの間にか居なかった。ここは変な土地だ。
とにかく私は生きていますし、このブログもちゃんと3年間生き続けていた。誰にも見られていないところが私とよく似ている。
言葉を綴りたい、と思ったので
少し昔の自分を、取り戻します。
誰も見てなくていい。誰も見てないくらいがいい。
でもちょっとだけ寂しいから、そっとアドレスをTwitterのプロフィールに貼り付けてみる。
さあ、私はまた始まる。何度でも。