風化風葬

つたえきれない

トボ

何かを急にやめることは難しくて、無理をすれば大きな反動がくる。体が応えられなくなる。それでも直感は、自分の直感は信じてあげたいと思う。思い立ったが吉日なんて言葉があるように(急がば回れとか果報は寝て待てとかもある)、思うことと動くことのスピードに、昔から人は翻弄されてきた。バランスが良いだなんて、だれが決めることだろう。漢字に出来るものはすべて漢字に変換するなんて、だれが言い出してもいないのに妙にそんな使命感を背負う時期がある。馬鹿げているだろうか。直感は正しいだろうか。はたして、その、あなたの。

今日は一日なにも予定がなくて、家の自分の部屋の布団の上に体が私を横たえてしばらくの間そうしていたけれど、どうやら、そうです、まもなく日が暮れそう。まだまだ横たわる。部屋に貼っている大量のフライヤーやポスターなんかを眺めながら、これを今日一気に全て剥がしてしまおうか、画鋲はいったい何個刺さっているのだろうか、聴いていないCDのフライヤーが貼らさっていたりして、自分で描いた小さな絵が、高校生のころに誕生日を先輩と友人に祝ってもらったときの写真が、自分で企画したライブのチケットが貼ってあるのを見て、なんだか耽ってしまったりした。ずっと横たわっていたら体の中の血液が平たく沈んで後頭部が重たい。なにか人をハッとさせるようなことがしたい。ゲームは面白かったけれど全て消した。これからはつぶやいたり人の生活を窺うのも控えめにして、少し自分の生活に集中する。絵を描いて文字を描いて映画を観てごはんを食べて音楽を、抱きしめていたい。

上を向いていても、横たわるのだね
前を向いていても、心がうつむいて

とびたい空がなくなるまで、とぼう


インフム

近ごろは、あまり、特別な曲を聴かない。どろどろで気持ちの悪い変拍子やらエフェクトのかかった人工音やら、全く嫌いじゃないのだけれど。なんだか拘ったり、偏ったりすることに飽きてきた。ストレートな歌詞、力強い歌声、まっすぐな音楽。ジェイポップでもロックでも洋邦なんでも。昔からヒップホップのリリックにはいたく共感していたし、ヴィジュアル系も友人の影響で少し聴くようになった。この間友人と夜中に飲んでいて、店内のBGMで私が直感で良いと思った曲が三つあり、それが全て西野カナだったときのあの妙な納得感。私は沢山の音楽を愛せる自分を誇らしく思った。時と場合によって、聴きたい音楽が違っていて、狭められることのない無限に広がる幅を感じたとき、自分が自分であって本当に良かったと思った。誰が一番音楽に詳しいか、誰が一番音楽を愛しているのか、なんて誰にも決められない。本当に詳しいのか、本当に愛しているのかを証明することも出来ない。全ての音楽を網羅している人はいないし、新しい音楽は絶えず生まれ続け、かつての音楽もまた発掘され続けているだろう。そんなことを言っていたら埒が明かない。要は音楽が一人の人間の体内に占めている割合が、それぞれの人間の愛なのだろう。広いから浅いのではなく、狭いから深いのでもない。なんでもないのだ。みんな音楽が好きなんだ。それ以上でもそれ以下でもなく、私は音楽を聴き続ける。君もそうでしょう。そうだといいです。

ただひとつ言うなら、私は単純に韻を踏むのが好きなのだ。詩でも文学でも、映画でも音楽でも。ただひとつそれだけ。

KREVA/ひとりじゃないのよ



ドイツの日曜日

ドイツが好きだ。行ったことはない。言語が好きだ。すべてのものに性がある。中性名詞なんて存在がたまらない。身近な単語の性を調べるだけでハッとする。好きなものが女性名詞だとなんだか嬉しくなる。スカートが男性名詞だったりして歴史のニオイを感じる。英語に近いところも好きだ。ついついYesじゃなくてJaと言いたくなる。ドイツの文化も良い。特に食料品。じゃがいも。ソーセージ。パン。ビール。ワイン。ケーキ。チョコレート?なんだかそんなイメージ。シンプルな塩味。じっくり煮込んだ愛情の味。冬のミュンヘンクリスマス市の空気がとても好きだ。クリスマスの文化は素敵だ。日曜日にしっかり休む生活も素敵だ。調べれば調べるほどのめりこむ。歴史も深い。ヒトラーも好きだ。スターリンのほうが好きだけれど、なんだかその辺のハチャメチャだった人たちはみんな好きだ。東西に分かれていた時代の話や、写真を見るのも好きだ。グッバイレーニンという映画は、生活文化がよく出ていて面白かった。ニセドイツという本も楽しい。実際に壁を作って隔てるなんてことをした国はドイツくらいだろう。ドイツ人、ドイツ製、ドイツ発祥、という響きだけでときめく。ドイツに恋している。いつか絶対に行きたい。お金があればドイツで暮らすのもいい。そんな夢を膨らませているだけで、おなかがいっぱいになる。

煙草のニオイが髪の毛に染み付いてとれないように、過去は私に染み付くケムリなのかもしれない。どんなに消しても、それはきっと消えない味。悲しい悔しい苦しいことがもう毎日あって、あんなに嬉しかった思い出が悲しい過去になってしまったとき、自分の表情を知る。それはもう、孤独の顔をしている。

どうやら、日記というのは悲しいときに書くものらしかった。

藍坊主/星のすみか

つかむ

なんだか目が覚めた気分だ。なにかを悟ってしまったようだ。そしてやる気は削がれている、布団から出られない時間が過ぎて行くけれど、それもきっと天気のせいで、だれも悪くなくて強いて言うならお天道様が徒らに雨を降らせるのが悪いのか、最近は自分の感情に合った曲を探すことが難しくて昔聴いていた曲を色々漁ってみるけれどしっくりこない。文章も侭ならない。難しい漢字に凝りたいお年頃。薔薇という字はいつまで経っても書けない。バラの絵を描いた方が早いだろう。バラ、と口に出した方が早いだろう。ケータイでバラと打って変換した方が早いだろう。それでも薔薇の花束なんかもらった日には、雨も喜べるのかもしれない。単純ばかりを求めて腐らないように、鮮度を大切に。

鈴木あみ/INFINITY 18

きらめり

最近はよく人に会って、よく話している。楽しい。人それぞれの思想があって、行動の理由や、思い描く先々の事なんかを聞くのが楽しい。同じ考えの人はいなくて、話を聞くたびに自分の考えにも気づかされる。その瞬間にそれはそれはありがたい時間を戴いていることに気づき、ひたすらに感謝の念。みんなのことが好きだ。どんな人にも思想がある。向かっていく方向と向かうための足を持っている。なんでもかんでも人それぞれ。ステキな世界だ。自分に自信があるひとないひと、そのひとにとっての世界の範囲、キラキラしているひとの翳り、うつうつしているひとの微笑み。なんでも好きだ。とくに人間らしい人間がとくべつに好きだ。べらぼうに。

とある友人と話して、ひとつの決意を固めることにした。創作。秋までに。ひとりで何が出来るのかを知りたい。自分らしいものを、誰かの単純な真似でなく、自分なりにつくる。そのためにも、まだまだ多くのことを吸収していく。学校が始まる。就職活動もつづく。ヒントを拾いに街へ出る。旅に、出る。その友人と話すと、なんとなく自分の中のくしゃくしゃの毛布がキレイに折り畳まれるような、角と角をぴっちりと合わせて、ほーっ、と息をつけるような、安心感と前向きな心持ち。安らかな空気だ。いつも感謝している。彼女の言葉が、たくさんの人に届くといい。きっと惹かれる。

SAKEROCK / KAGAYAKI 

いくつ

3月28日、久しぶりの葬式。最愛の祖父が死んだ。儀式は重たくて苦しくて、しかし何かが救われるような感覚。お経が心地よく、いつか私のために唱えられる瞬間が来るのだろう、と遠いか近いかわからない未来に思いを馳せた。すべてが終わって、落ち着いて、久しぶりにこの日記を見に来た。どうやら誰かがこの日記を、覗いてくれているらしい。ありがたいことだ。わたしは、わたしの言葉に自信と責任を持つべきなのだろう。もっと。だれか、だれでも、ありがたいです。ありがとうございます。

いつかは人は死んで、そう、お経もらって白い丸いご飯と新しい名前を持ってどこかに行くんだろう。よくわからない。じーちゃんは私の心に、私の母の心に生きている。肉体は焼かれてなくなって、骨は拾った。ぼけているのか、必死で1人、骨を拾い続けている親戚のおじさんが居た。私もあんなふうに、必死の全力で立っているのがやっとのおじさんがそうしていたように骨を拾われたいと思った。必死の全力で、骨を拾ってもらえる人間でありたい。いつ死んでも。

就職活動にもそろそろ労力を奪われつつあって、だんだん書くもの撮るもの、笑顔と大きな声の必要性が溜まってきている。色んなところで、脚色しない自分を出すために日々努力。否、努力したい願望。やるだけやって、誰からも選ばれなくても大丈夫。その時は私が私を、選んであげたい。そのために今は努力しようと思う。じーちゃん、見ていてくれ。

じーちゃんは頑固で強がってばっかり、いつもふざけてて冗談言ってばっかりの人だった。子供みたいだった。半年前にばーちゃんが入院したときには、しおしおに弱っていた。なんだかんだでばーちゃんが居ないとだめになってしまうような人だった。でもいざ自分が病気になったら病院を拒み、頑なに牛乳お酒タバコの配達をやめなかった。私が生まれたときにずっと吸っていたタバコをスパッとやめた。そういう人だった。大好きな人だ。やすらかに笑っていてほしい。

スピッツ/黒い翼
もっと気高く 未だ見ぬ海を 駆けてゆけ

カゲリ

大きなことがあった。私は私の責任。この先どうなるのかなんて誰にもわからないし、どんなにわたしがあれこれ考えても誰かがどこかで歪んだ言葉を受け取ることはいつになってもなくならない世界の悲しみだ。どこかの誰かに私の言葉が歪んだまま届いてしまったりしても罵られても悲しまれても、ごめんなさいこれは私の人生私の心私の言葉。これからどうするのか、これから決める。私が。

食欲が湧かないくせに朝の胃は空っぽでうつろ、吐きそうな感覚もくる、吐かないけど。自分がミジメだ。なにか、なにかなにかなにかなにかで生活を埋めなければならない。しばらく思索模索。なにやってんだろう、という憂鬱、押し込めて潰して廃品回収に出して、鳥のさえずりを聴きながらの朝。ケダルイけもの